いよいよ未知だった展示作品が並びました。
写真を金継ぎするらしいとの情報と
この写真のDMを見たぐらいで
どんな展示になるんだろうとワクワクしていました。
搬入中に少しこの展示の言葉をもらおうと聞いてみました。
作者の言葉と自分の感じた事を混ぜて走り書きしたいと思います。
祖父母の遺品のアルバムから大量の古い写真を見つけ、それを見た時にとても感動したし作者自身もその写真から想像させられた。その想像かその写真が想像させる何かを作品に転化させる事にした。
作品について考えていた時に金継ぎと出会い、金継ぎの継ぎ目の呼び方が「景色」であることを知り今回のタイトルへと繋がっていく。
それも含めてドラマチックなことだなぁと自分も聞いていて思った。
祖父母の写真は家族の繋がりであることは間違いない
でもこの写真は作者が撮った物ではなく
そして鑑賞者との直接的つながりはない。
作者が想像したことと同じような想像が鑑賞者に生まれないとは限らないと思う部分もあるがこの写真は作者によって燃やされたかの様な線で継がれている。
その事で撮影者ではない作者の作品にもなっているしその線の選び方が作者の選択で制御されているとも思える。
壊れた器を修復するとは違い
作品としてイメージを作り上げた作品は
いろんな想像を見る人に立ち上げてくれる物だと思います。
なんか書きたい事が書けているかは?ですが金継ぎの景色という線は自分には山並を見ているかのように感じたりしました。
いい表現だなぁ。
景色って
そして
使い続けられるって感じも繋がりだし
その金継ぎされた器を次の人が手に入れる事もこの作品と似てる。
Comments